マンガの歴史を知ろう!

今や日本の漫画は国内だけにとどまらず、世界でも高く評価されている文化の一つだといわれています。子供の頃から多くの人が慣れ親しんできた漫画ですが、歴史的にどのように発展してきたのか詳しく知っている人というのは少ないです。そもそも日本における漫画には明確な定義はなく、京都国際マンガミュージアムの設立に関わった研究家の清水勲氏によると、あえて定義をするならば「遊びの心」や「風刺の心」をもって描いた絵であり、面白い作品とはこの遊びと風刺の精神がバランス良く含まれた絵だといわれています。

現代の作品は大きく分けて一枚絵のカートゥーンとストーリー作品のコミックの2種類に大別され、コミックは20世紀に入り映画などの影響を大きく受けて世界で発展したストーリー性を持ちます。このことから観る人を楽しませる、もしくは何らかのメッセージを伝えるために描かれている絵は全て漫画と定義することが出来ます。

歴史をさかのぼり日本最古の作品といわれているのが、12~13世紀の平安時代末から鎌倉時代にかけて作られた「鳥獣戯画」であり、動物を擬人化して当時の人々の暮らしや社会を反映した絵が描かれている特徴を持っています。作者は戯画の銘酒である鳥羽僧正と言われていましたが、画風や絵柄に統一性が無いことから複数の作者によってバラバラに作られた作品を一つにまとめられているとされます。

江戸時代になると一部の貴族や僧侶のものだった作品が、印刷技術の発展に伴い大衆文化として広まっていき、明治から戦中には多くの外国人や外国文化が日本に入ってきたことにより急激に文化が発展していきます。1862年には日本発の漫画雑誌である「ジャパン・パンチ」が登場し、横浜の居留外国人向けに発行された雑誌ということもあり、風刺作品が流行するようになります。

1923年には日本で吹き出しが使った作品を横島勝一と織田小星による「正チャンの冒険」が連載スタートし、世界恐慌や関東大震災で苦しい生活を送っていた人たちの心を明るくする娯楽作品として人気となり、現在のコマや吹き出しといった主流の表現が定着しました。

戦後は続々と雑誌が復刊していき、長谷川町子氏の作品の連載がスタートし現在でも人気の高い「サザエさん」が登場します。1950年代にはこの業界の神様としても知られる、手塚治虫が登場し、ジャングル大帝や鉄腕アトム、リボンの騎士や火の鳥など続々とヒット作を連発します。手塚氏は映画好きであったこともあり、映画の要素をふんだんに取り入れてドラマチックな展開や大胆なカットでマンガの基礎を確立し、鉄腕アトムでは本格的な世界進出を果たしました。